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坂口藍子さん
PROFILE NO.2 坂口藍子さん 海洋システム工学専攻 修士課程1年

海外探検隊1期生シンガポールチーム(2014年夏派遣)
ノルウェーノードランド大学に半年間交換留学(2015年1月~)

東京海洋大学に通う学生の中には、グローバルに目を向けた学生たちがたくさんいます。 第2回目のインタビューでは、海洋システム工学専攻 応用情報工学の研究室に所属している、修士課程1年の坂口藍子さんにお話を伺いました。

藍子さんが海外を意識するきっかけはいつ頃でしたか?

高校生の頃でした。
私は高校2年生の修学旅行で初めてシンガポールに行きました。ちょうど学校がグローバルな教育に取組み始めている時期で、ここから海外に興味を持ち始めました。海外で働く日本人の姿をテレビで観て、様々な環境で育ってきた人たちがいる中、自分の個性を発揮できる働き方に憧れを感じていました。

どのように夢に近づいていきましたか?

大学に入ってからは、アルバイトでお金を貯めて海外旅行に行くようになりました。ロサンゼルスやインド、韓国などです。

また、交換留学も考えていました。
入学して最初のころは大学の交換留学プログラムでカナダのビクトリア大学に行きたかったのです。でもTOEICスコアを800点くらい要求されていて当初は語学力が足りませんでした。それで自分自身でまずは語学留学にいこうと考えました。2年生の初めに計画を立てて月々貯金をスタート。休学をしないでいけるように、授業も前期に詰め込みました。そして3年の後期にはオーストラリアに半年間語学留学にいくことができました。

自分のお金だから絶対にムダな時間を過ごしたくないって思いましたね(笑)
現地では、お金の使い方や、時間の使い方、誰と一緒にいるか、本当に考えました。それでとにかく外国の人と一緒に行動をとるようにしました。始めはスラスラ英語がでてこなかったけれど。

日本に帰ってきてからはすごい自信がつきました。TOEICのスコアで言えば300点ほど伸びていて驚いたのですが、それよりも、外国人と喋ることに抵抗がなくなったことや、綺麗な英語で話すことよりもどんどん話すことの大切さに気づきました。

向こうでできたスイス人の友達にずばり指摘されたことで、「英語ができて喋らない人よりも、英語ができなくてもがつがつ喋ってくれる人の方が興味もあるし仲良くないたいと思う。」と言われたことをよく覚えています。

藍子さんは海外探検隊1期生シンガポールチーム(2014年夏派遣)に参加されていますが、今振り返ってみてどうですか?

profile_no2_photo3.jpg現在4期生まで続いていることを嬉しく思います。私たちは1期生で、プログラムを自分たちでつくる場面もありました。渡されたしおりの空欄について先生に聞くと「自分たちでアポをとって埋めていくんだよ」と。

それで、大丈夫かな本当にむこうでちゃんとできるかなって不安もありました。探検隊は語学留学とも旅行とも違います。さらに社会人の方々か相手でした。社会人の方々と話す機会は日本でもあまりないのに、ましてや海外なんて、しかも外国人の方々も。今振り返るとすごい度胸があったな、と思います。

でも、旅行とは違って自分たちでやらないと完成しないプロジェクトを0から作れたことは大きな経験となりました。プロジェクトが終った後には、その達成感でみんな泣いちゃいました。

探検隊から帰国後、どのような活動をしていますか?

次は大学で自分の専門分野で外国のいろいろな国の人たちと勉強をしたいという気持ちが強くなり、留学にチャレンジしようと決意できました。2015年の1月から半年間、ノルウェーで海生哺乳類の勉強をスタートします。オーストラリアのときと同様に、休学は絶対しないと自分で決めていたので、先生と相談の上でしっかりと修士論文の準備をしていました。

最後にひとことお願いします!

海外に出て将来の職業を考えるようになりました。私は海外でホエールウォッチングを指導する仕事に就きたかったのですが、探検隊のつながりで社会人の方々からアドバイスをいただいたり、相談にのっていただきました。今では視野が広がってそれまであまり知らなかった職業や働き方も考えています。

大学生の今の時期は、"ただ海外へいける"で飛びついても良いと思います。

坂口藍子さん

編集後記

藍子さんのパワフルな意思に驚かされました。 語学留学の目標のためにこつこつ貯金を続けたり、休学しないために授業スケジュールを調整したり、自分でゴールを定めて、それに挑戦していく姿がとても素敵でした。 半年間のノルウェー留学後にまたお話を聞きたいと思います。